私とパソコンWindows95以前
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日立ベーシックマスター | 1978年9月発売 |
これは1978年9月に日立製作所から発売されたパソコンです。
実家に10年前まで存在していたと思ったのですが、廃棄してしまったのか現在は見当たりません。
発売当時は、こういう筐体に入った(マイコン)はこのMB-6800が初めてで、画期的だったことを記憶しています。
しかし、国内でメジャーになったのはNEC製のパソコンで、商売ベタの日立からは画期的な商品は出るが、メジャーにはならないという見本のような商品です。
私は、1978年9月当時、大学生だったはず。\188,000もした製品がなんで我が家にあったのだろうか?
親にねだって購入してもらったのだろうか。
実家が日立の家電店をやっていたせいもあって、小さい頃から家電製品には恵まれていた気がします。
思えば、このMB-6800が私とパソコンとの関わりの原点だったのかも知れません。
当時の記憶装置はカセットテープで、BASICで作ったプログラムをカセットテープへSAVEして、またカセットテープからLOADして遊んだ記憶があります。
今のテレビゲーム機の方が、よほど高性能で安いのですが、当時はこれが時代の最先端のエレクトロニクス製品でした。
その後、社会人になり、某大手電機メーカーに入社してからは、そのメーカーのシーケンサーのプログラムを作成する専用アプリケーションの入った16bitCPU搭載パソコンを使ったりしていました。
メーカーを退社後、実家へ戻ってくるとファミコンがテレビゲーム分野を席巻していて、シャープからファミリーコンピュータ互換機の「ツインファミコン」が1986年に発売され、店頭に置いてデモしながら販売する目的で仕入れ、デモという口実でスーパーマリオにはまったことが懐かしい(笑)家庭用パソコンの規格MSXなるものが1983年に発足しており、ファミコンのソフトは自分で作れないが、MSXパソコンなら自作できるという技術者魂がメラメラと沸き上がり、これまた実家がソニーショップもやっていたため、当時松田聖子ちゃんがCMキャラクターをやっていた、ソニーのHITBITなるMSXパソコン(型式は忘れてしまった)を販売目的のデモということで仕入れ、BASIC打ち込みでプログラミングしていました。
市販のMSX用ゲームソフトなども売り出されましたが、結局ファミコンやスーパーファミコンには勝てず、消えてしまいました。
ただ、MSXパソコンに電話回線を接続して、当時はニフティサーブだったと思いますが、パソコン通信をやっていました。パソコン通信で、プログラムをやりとりできたのです。インターネットが始まる前の時代の通信手段でした。時代が多少前後しますが、私が実家へ戻ってくると、メカ好き・機械好きの父はソフトハウスへ外注して、BASICの売掛管理ソフトを作成してもらって、お店の売掛管理をパソコンでやっていました。
当時使っていたPC日立B16/EX | |
B16/EX以前に使っていたらしいMB-16001物置に転がっていた |
私が実家へ戻ると、その蓄積されたデータを加工したり、分析したいと言いだし、人の作ったソフトを改造するのはとても骨の折れる作業なので、カード型データベースソフトを入手して、売掛管理ソフトのデータベースからデータをコンバートする簡単なコンバーターソフトを作成し、カード型データベースソフトに読み込んで、色々加工して分析できるようにしました。
その後は、日本国内のPCの標準となってしまったNEC PC-9801シリーズを使いました。
いや~懐かしい
NECの国民機
PC-9801DA2
FDDは5インチです!
1991年発売
当時448,000円
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PC-9801DA2以前の機種も使っていた記憶があるのですが、機種は何だったか忘却の彼方へ・・・です。
当時は、MS-DOSを駆使して、プログラムは全てフロッピーディスクで動かすという今からは信じられない体制でした。
当時のワープロソフトといえば、これまた国民ソフトと言っても過言では無い「一太郎」一太郎Ver.3からずっと現在まで使い続けています。
当時なぜPC-9801シリーズを使っていたかと言えば、お客様にPCを納品する場合、圧倒的にアプリケーションソフトが揃っている機種はこれしか無かったからというのが実情です。
確か、これに外付けHDDを繋いで、Windows3.1を動かしたはずです。このような非力なPCが40万円以上もしていたなんて、今では考えられないですね。
ここまでが、1995年以前の私のパソコン歴です。
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2011/05/13 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |
カテゴリー:パソコン